ささやかなお知らせ(なのに長い

「鑑定」という言葉をやめまして、
《私のしていること》を「占い」「占いカウンセリング」とサイト内表記を変えました。
変更し忘れがあったら教えてね。
今後は、普段の会話でも変えていく所存です。



私の肩書《占い師》
そこにはとても大きなこだわりというか、
たくさんの大事な意味があります。
それはここで書くと長いので割愛しますが、
私の肩書きは「占い師」
英語表記では「fortune teller」にしています。



占い師がやることは、やっぱり「占い」なんですよね。





駅ビルの老舗占いスペースでお仕事させていただいた時に
占い師さんは「鑑定士」と呼ばれていました。
代金は「鑑定料」でした。
今はかなり一般的に占いしたり霊能力でアドバイスする人のことを鑑定士といいます。
企業に所属してお仕事する場合、そう呼び合うのが自然です。

お客さまにわかりやすいならと、
個人活動になっても鑑定という言葉を使い続けてきました。
でも肩書きは鑑定士とはしませんでした。

立ち止まって思うに、

私は好きなことを仕事にしています。
とてもありがたいことです。
私が好きなことは「占い」です。
「人様を鑑定すること」ではない。

好きなことを仕事にしてると自信をちゃんと持つためにも、私の仕事は「占い」と書くべきじゃないのか!
これはちょっと逆説的というかシンプルじゃない理由づけですが、
とにかくも鑑定という言葉を多用するのは、なんか不自然。短絡的??と気づいたの。

もちろん鑑定士・鑑定という言葉を否定するものではありません。
「私は占いが好きな占い師だ」と自分で思っているので、それをシンプルに使っていこうというだけです。

「鑑定」を使うのが一般的なのは間違いないです。なので「鑑定してください」と言われても怒ったりはしませんし(笑)その言葉を使っている場・業界をdisってないです。念為


なんというか、覚悟を明確にしていこうと思っているだけなので、こんな記事を書くほどでもないのですが、いきなり表記が変わっててあれ?と思う方もいるかな?
と記事にしています。テヘ



正直「占い」は少々稚拙な響きがあって、
メール占い、対面占いとかってちょっとね、
鑑定や、リーディングの方がかっこいいんです。
でも、私が好きでやっているのは、「占うこと」
シンプルなところに行き着くまでにだいぶかかっちゃいました(笑)



『鑑定』を辞書で引いてみますと

1 書画・骨董 (こっとう) ・刀剣・資料などの真贋・良否などを判定すること。目利き。「筆跡を鑑定する」
2 物事を判断すること。また、その判断。
「ねぼけてあんな珍語を弄するのだろうと―したから」〈漱石・吾輩は猫である〉
3 裁判所から指示された事項について裁判官の知識を補充するために、学識経験者が専門的な意見・判断を述べること。


私が好きなのは、辞書にかかれたどれでもありません。

ましてや、真贋・良否を判定なんてね。判定かあ。

判断はすると思いますが、読み出す、言葉を駆使して伝えるという意味がそこに含まれていないわけです。 

私がしていることは「判断する」ことだけではありません。

命術で運気や性質・相性をリーディングして、未来を予想して、読めたことを言葉尽くして伝えて、励まして、なだめて背中押すこともあります。タロットでは不思議なヒラメキも、勉強した知識も、シンクロニシティも、ユビキタス的叡智も総動員です。
占うという言葉には、それらがぜーんぶ含まれてる気がします。


というわけで、


私が私らしくこのお仕事をしていくために、原点回帰的に、「やっぱり占い大好きな占い師であること」の宣言として、「占いをすること」を「占い・占いカウンセリング」とシンプルにいいます。
「鑑定料」としていた料金は、「見料・占い代金」という感じにします。
「鑑定結果」は「占い結果」かな、


もっとよい表現がみつかったら変わることもありますが、シンプルでしっくりくる表現に妥協しないでいたいと思います。



色々書きましたが、
感覚的には
「私は衆議院議員です」と
「私は代議士です」の違いくらいのことで、
私はその違いがきになるけど、
気にならない方も大多数だし、
企業はあえて鑑定士と呼ぶ意味があるだろうし、


でも鑑定士がするのが鑑定なのだから、
占い師である私がするのは、占いであるだろう。
士と師の違いを、私の中では大切にしよう。

と。

気持ちと、使う言葉を一致させたというか。
自分を表す言葉を正しく吟味することは、自分を正しく認識していることに他なりませんのね。




占いの現場でも同様に「一つの言葉を選ぶ時もうるさいくらいにこだわる」べきですね。
私は本当に言葉えらびにうるさいです。
それってよくないかなあって思ってたりもする。
でも占い師としては大事なところだし、適性といってもいいのかもしれません。
もう、堂々とこだわっていきます。
うざいくらいに!(笑)


ああ言葉とは、日本語とは、狂おしいほどにむずかしく、狂おしいほどに愛おしい!!!

✴︎ Harmonia

鬼丸 織江 『ハルモニア』