こちゃこちゃしたものが好きで、
大学時代は押し入れいっぱいおかしなものを並べアメリカンな雑貨屋さんみたいにしたり、
オズマガジンの雑貨特集も必ずかっていた私ですが、
最近はすっかり物欲が抜けてしまいました。
ノートや、マステや、包装紙や千代紙や、
パワーストーンや、アンティークの家具や、タロット…
コレクションにしていたものを消費して行きている没落貴族のようです(笑)
可愛いなと思っても新しく欲しいとは思わなくて、
必要な日用品や化粧品くらい、必要最低限買っている気がする。
なんで変わったんだろうと振り返ると、
ネイタル太陽トランジット冥王星がコンジャンクションした二年間が大きかったような気がします。
その2年で私は大きな経験をしました。
ひとつは出産★
お腹からあかちゃんが、何も持たずに何も着ずに生まれてきたのです。
そんなの当たり前!(笑)と思いますか?
こんなに素晴らしい存在、計り知れない価値を秘めたあかちゃん。
なのに何も持ってない。何も持ってないのにこんなに輝いている。
その純然たる事実に(2回目の出産にして)気づき驚いたのです、、
生まれてしばらくの間、欲しいのはお乳だけ。
あれが欲しいこれが欲しいなんていいません。
生まれてきたことが嬉しくて仕方ない。
今はママに抱かれてお乳をもらうだけでも最高!
と言っている気がしました。
その一ヶ月後、ずっと家族として一緒にいた伯母がなくなりました。
出かけるときはいつも何が入ってるの?と聞きたくなるくらいバッグにたくさん入っていて、そうじゃないと不安だと言っていた伯母が、救急車で何も持たずにでかけました。
私の目をみたとき、体さえも荷物になっているような気がしました。
伯母が残したモノたちを私は使っています。
部屋さえありがたく使わせてもらっている。
伯母の部屋を見回して、あんなに大事にしていたものも、持っていくことはできなかったんだなと毎日思うのです。
生まれてくる時も死ぬ時も、なんて潔いんだろう。
ならば生きながら潔いことも不可能ではないはずではないか。
生きていくのに素敵なものに出会うのはうれしい。でも自分のものにする必要はないかもしれないそう思うといろいろ楽になりました。
今あるもの、縁あるもの、いただくものでそこそ生きていけそう。
本当にどうしてもというものだけ手に入れて幸せを感じる私でありたい。
モノより知識、経験、感覚、温度みたいなものがいい。
モノを介して感じることもあるから、
ミニマリストとはいきませんが、
あれもこれも欲しい年頃は卒業できたかな。
というわけで、タロットもパワーストーンも、もう何年も買ってないんです。
仕事道具は増やすべきかな(笑)
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